今日は舞岡方面へウォーキング
歩きながら考えていたのは写真のこと
構図より伝わる写真ということの方が大事
以前のことだが写真教室の仲間の一人が弘前城のお濠の桜を撮ってきてみんなに披露したことがあった。彼は濠に浮かぶ桜の花筏がいかにきれいだったかを説明するのだが、遠くからの「引き」の写真だったこともあり、見ている側としてはそれが花筏であることすら伝わらなかった。
どうすれば伝わる写真になるか
主題を引き立てる工夫が必要だ。料理に例えるなら、料理とお皿の関係。料理が主題ならそれを引き立てるお皿はバックということになるだろう。
しかし、主題とバックがあれば伝わるかというとそうでもない。
ある写真家が撮った一枚の写真。子供が一人後ろ姿で遊んでいる。かわいいとか、そういうものではない。撮った人はかわいいと思って撮ったのかもしれないが、見てる側にはわからない。そもそも見せようと思って撮ったわけではないから、見てる側に伝わる必要はない。自分さえ満足であればそれでいいのか。
と、まあそんなことを考えながら歩いていたら、目的のお寺に着いた。
しかし、肝心の主題になるようなものがない。手ぶらで帰るのも惜しいので、少し遠回りしてみようと思った。少し歩くと畑の一角に咲く向日葵があった。すぐ後ろにはビニールハウス。これをバックにすることも考えたが、ビニールハウスをどんと入れるのがいいかどうか迷った。左手の方を見ると、農家の向こうに森の木立が広がっていて、その上に夏の空があった。
ps.伝わる写真について、ある写真専門誌に次の記載があった
「伝わる写真は撮影者が見せたかった部分に目が行きます」
このように理解すれば納得できる
(7月9日追記)